2004年の初めの頃


状態、状況

実家にいる。
頚髄損傷。両肩をすくめる事ができる。右肩を可動域は狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事はできない。右手首を返す事ができる。痙性は日に日に強くなる。腹筋と背筋が痛い。
膀胱瘻を付けている。
夜寝る時以外電動車椅子に乗っている。褥瘡対策の為、1日に何回か徐圧してもらう。1日3食、食事の装具を付けてもらい自分で食べる。筋トレをする。トラックボールを使いパソコンを使う。装具を使い字を書く。装具を使い携帯電話を使う。
毎日、朝起きてからPT、昼にはスタンダップチェアーで約30分立ち、を約1時間やる。3日に1度排便。毎週月曜日と金曜日、特殊浴槽で入浴する為にハーモニー桃の郷に行く。毎週水曜日、リハビリの為に県リハに行く。毎週水曜日、で入浴。3週間に1度、膀胱瘻の交換に篠ノ井病院に行く。1ヵ月に最低1回は長野市街にお出かけする。1ヵ月に1度、整形外科の診察を受けに県リハに行く。1ヵ月に1度、東京に治療を受けに行く。1ヵ月に1度、サンアップルのプールに行く。3ヵ月に1度、脳外科の診察に篠ノ井病院に行く。





重要な事

去年の年末に「脊髄損傷が何故回復しにくいか」医者の卵の友達2人に電話で聞きましたが俺の求める答えは返ってきませんでした。


懲りずに、またインターネットで調べました。しかし、やはり俺の求めるモノはありませんでした。



そこで、思い切って「日本せきずい基金」さんにメールで聞きました。そして返ってきたのが脊髄損傷についてに書いてある答えです。


己を知るには、まず敵を知れと言われるように俺の敵である脊髄損傷の事を知る事で、自分の状態もだいたい理解できたような気がします。



そして、いかに回復が難しいかも理解しました。











その他の出来事

1月1日 今日から5年日記をスタートします。

なんだろ?日記を書くのが大変な体になってからの自主的に書き始める日記です。


なぜなら、今から書き始めた方が絶対面白い日記が完成すると思うからです。

頚髄損傷の関係上、手が延びなくて逆さまに書く事も多いですが、書かないよりはマシです。完成させてみせます。





書いた字は「回復」1月2日 書初めをします。
俺に届いた年賀状に対して返事も書きます。


これも書初めをするのが大変な体になってからの初めて自主的にする書初めです。






1月8日 東京に治療に行った時、美容院で髪を洗ってもらうついでに髪を青くしてもらいます。
青くなりすぎて黒に近くなりました。成功?失敗?





1月9日 東京の治療中に先生と話してる時に思った事


作る事より直す事の方が大変という事。

部分的に壊れたら作る事の方が大変だけど、中心部から壊れたら新しく作った方が簡単です。
俺にあてはめてみると、俺は中心部(中枢神経)を痛めてるけど新しく作る事は出来ません。


さあ大変です・・・





1日の中で暇な時間を全てマンガを読む時間にします。夜になると目が痛くなりました。昔はいくら読んでもいくら読んでも痛くならなかったのに・・・・・

目も弱くなりました。





1月14日 ニュースステーションで明晰夢という
夢を見ていることを自覚して見る夢がある事を知ります。


明晰夢が見られるようになると、夢のコントロールが可能になり、恐い夢を楽しい夢に変えることは勿論の事、どんな事も出来るようになるそうです。

って事は指を使うことも歩く事も出来るって事です(夢の中だけど・・・・・)。



「もしかしてこれは、とんでもないリハビリになるかもしれない」と思い 見る努力をしばらくしますが、結局見られませんでした。





脊髄損傷についてインターネットで調べて、たどりついたのがヒトゲノムのホームページでした。


そこのページを読んでみると↓
遺伝子、ゲノム、DNA。これらはしばしば“設計図”にたとえられてきましたが、DNAのどこを探してもカラダ全体の設計図と呼べるようなものは見つけられません。
ゲノムに刻まれた生命の秘密ともいえる唯一の情報。それは「いつ、どこで、どんなタンパク質をどれぐらい作るか」という分子レベルでのみ通用するタンパク質の組み立て方です。



どうやら中枢神経は再生しないと

書いてあるワケではないそうです。



きっと行けるハズです。行ってみせます。









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