2003年 6月11日


状態、状況

長野県身体障害者リハビリテーションセンター(以下 県リハ)にいる。
頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域は狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができない。右手首を返す事ができる。小さな声だが、喋る事ができる。痙性は日に日に強くなる。起立性低血圧の為、ベットを上げるのに少し時間がかかる。腹筋と背筋が痛い。
気管切開した喉の所からレティナを付け、膀胱瘻を付けている。
電動車椅子によく乗る。1日3食、食事の装具を付けてもらい自分で食べる。トラックボールを使いパソコンを使う。装具を使い字を書く。携帯電話を使う為の装具を使い携帯電話を使う。
面会は11:00〜20:00。は毎日来てくれる。県リハに車で片道40分かけて9:00〜10:00位に来てくれ、1日中いてくれる。はよく仕事帰りに来てくれ、20:00には2人で帰る。友達も沢山来てくれる。リハビリ OT室PT室にて、それぞれOTPT30分位ずつ。が、よくマッサージをしてくれる。呼吸の練習をする。サンアップルに、呼吸のリハビリも兼ねてカラオケによく行く。3日に1度、排便。週2回特殊浴槽で入浴。

新しい事     今回が最後の事





重要な事


厚生連 篠ノ井病院の耳鼻咽喉科にレティナの様子を見せに行きます。


レティナを取ってばんそうこう
すると先生は「今日取る」と言って

レティナをスポンと抜き、様子を見てペタンとばんそうこうを貼りました。


そしてまた明日来るようにと言われます。


レティナを取ると楽になるかと思っていましたが、たいして変わりはありませんでした。




次の日、篠ノ井病院に行くと「普通穴は自分で塞がるしかないからほっとけばいいんだけど、堀内君の場合喉の皮膚と気道を縫い合わせてあって半永久的に塞がらない処置をしてあるから、皮膚を削って新しい肉を出さないとくっつかない」と言われて、気管切開した喉の所を


「カリカリ カリカリ」と削りました。



喉スッキリ&満面の笑み
最高に痛くて怖かったです。そして一針縫ってとりあえず、処置は終わりました。その後、何回か糸が抜けたり縫ったりしますが


無事?塞がりました



通常、長くても気管内挿管は2週間しか付けていないらしいですが、「死ぬ 死ぬ」と言われていた俺は3週間以上付けていました。そのせいで気道も傷ついているらしいです。






車椅子のまま乗り込める車を買いました。


両親が大阪の福祉機器展に行った時、スロープが付いていて助手席も回転出来る軽自動車はだけしか見なかったのでMOVEにしたとの話です。


何故 軽自動車にしたかというと、スロープが付いていて助手席も回転出来る普通車は50万円から違うからです。




ドライブして、夜寝て、朝起きると、腹筋が痛いんです。

「これはもしかしていい筋トレになるかも」と思い、毎日目的地の無いドライブに連れていってもらいます。


ドライブが筋トレになったかなってないかは分かりませんが、ドライブで得た大きなものが1つあります。




それは、いくら今いる場所が「長野県身体障害者リハビリテーションセンター」とはいえ、普段の会話の中では「県リハ」と略されてしまいますが、ドライブの帰り県リハの前には大きく

立派な看板
長野県身体障害者リハビリテーションセンター」と書いてある看板があるのです。



それを見て、「ここで生活してる俺は、立派な身体障害者なんだ」と思い、
自分で自分の事を身体障害者と呼べるようになります。




それは俺にとって大きな前進だと思います。






県リハを退所前のOT装具を使い字を書くリハビリが主でした。
6月2日  ガンダムっぽいのと字 とか・・・ 6月4日  県リハのOT室にあったプラモデル 6月10日  しし丸とQ太郎とアンパンマン
6月27日  マトリックスのCMを見て(原稿用紙)-その26月27日  マトリックスのCMを見て(原稿用紙)-その1 7月4日  ドラえも〜ん!

書いたものは どーでもいいですが、じょじょに上手くなっている事に間違いありません。





転院を前に何故かこの時期に異動があり、主治医の先生が変わります。


一見悪い事と思われますが、

今までの主治医の先生は「県リハは今、リハビリの先生が少ない。堀内君は退院してから県リハリハビリを受ける事は出来ない。だからどこか違う所でリハビリを受けてくれ」との考え方。


それに対して新しい主治医の先生は「堀内君にこそリハビリが必要だ。腰が痛いとか言ってリハビリに来ている人に来るのをやめてもらってでも県リハリハビリを続ける必要がある」との考え方。




主治医の先生が変わったおかげで対処も180°変わり、

退院後も県リハリハビリを受けられるようになりました。






退院する直前に入院して部屋に入ってきた脊髄損傷の先輩に、「夏 体温が上がったら、

自分の体に霧吹きで霧を吹くといい」と教えていただきます。


頚髄損傷は汗をかく事が出来ないので、霧を吹いて気化熱で熱を奪うという原理です。



退院する直前に、良い事を聞かせていただきました。











その他の出来事

転院を前に、県リハの所長さんに廊下で会うと毎回「いやー、車椅子に乗れるなんて思ってなかったよ」と会う度に言われます。





6月21日 友達全員に、これからの抱負をメールで送ります。





6月24日 レティナが取れてから始めて誤嚥をしてしまいました。死ぬかと思いましたが、たまたま病室にOTの先生が来て誤嚥したものの出し方のコツを教えてくれたおかげで助かりました。

出てきたのは米一粒でした。






6月28日 事故後初めてまともな外出をしました。

家族そろって長野市街地に出てみます。


マクドナルドで昼飯を食べ(段差があった為外の広場で)、映画館でマトリックス リローデッドを見て、電気屋で新しい携帯電話(SO505@)を買います。



今までは基本的に県リハ内での生活だったので街中はとても新鮮でした。


長野市街をブラブラしてた時、俺は気付かなかったけど結構見てる人がいるに言われました。物珍しいのは車椅子?金髪?それとも両方?





7月2日 フィリピンに行く事が決まった為、パスポートを取りに行きます。





7月3日 の友達が来た時の会話の中で俺が
「今は事故にあってよかったと思う」と話します。

この頃になり、ようやく考えが変わってきたものと思われます。





7月7日 七夕 県リハで七夕のイベントがありました。短冊を2枚もらったのでせっかくだから2つ、

「完全回復」「俺の回復を祈ってくれてる人達に幸せを」の2つをお願いします。





これは2004年6月6日 この頃はもっと薄かったです7月9日 自分の手首がかなり薄っぺらになっている事に気付きます。ちょっと切なかったです。






河原でバーベキュー7月13日 長野の友達が俺も参加できるバーベキューを企画してくれ、長野・東京・静岡の友達MMさん友達の友達も呼んで犀川の河原で盛大にバーベキューをやりました。



事故後初めてアルコールをがっつり飲みます。

やはりストローで飲むと酔いが回るが早いです。


最高に楽しかったです。




その夜、飲みすぎたのがたたり気持ち悪くなってしまいました。

看護師さんにその事を言い「気持ち悪いのが治まる薬ないですか?」と聞くと、仕事が終わり帰宅した先生に電話で連絡を取ってくれました。


そして「そんな薬があったら俺も欲しい」と怒られました。









トップページへ
TOPページへ