2003年 1月8日


状態、状況

厚生連 篠ノ井病院HCU(準ICU)にいる。
頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができないので使い物にならない。右手首を少しだけ返す事ができる。とても小さな声だが、喋る事ができる。痙性は日に日に強くなる。
1日3食、全介助で食べさせてもらう。複視起立性低血圧の為、ベットを上げるのにとても時間がかかる。腹筋と背筋が痛い。
気管切開した喉の所からレティナを付け、おむつを当てている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。
面会は7:30〜8:00、12:30〜13:00、17:30〜18:00の3回。は毎日来てくれる。は身の回りの世話で昼と夜の2回(12:30〜14:30 17:30〜20:00)、家と病院を往復する事になる。は面会時間がたとえ残り5分しかない時でも、会社帰りに毎日寄ってくれる。友達も沢山来てくれる。リハビリ  ベット上でOTPTST合わせて50分位。車椅子に乗る事が自分で出来るリハビリ。意味もなく乗る。が、よくマッサージをしてくれる。呼吸の練習をする。週2回特殊浴槽で入浴。

新しい事     今回が最後の事





重要な事

厚生連 篠ノ井病院から

長野県身体障害者リハビリテーションセンター

に転院します。




転院の朝、看護師さん達から色紙をもらいました。
普通HCUに こんなに長くいる患者はいないからでしょうか?

とてもうれしかったです。



県リハに転院する時の移動手段は寝台タクシーでした。
車椅子には乗れますが、まだ車椅子のまま車に乗る体力がないからです。


車中で祖父に電話をします。






県リハに着くと、とりあえず 洗面所・トイレ・お風呂 の場所を説明してもらい、早速自分の病室へ行きます。


その夜は、なぜか母も県リハに泊まりました。
県リハの看護師さんの話によると、「転院して本人も不安でしょうから」との事。

もう22歳なんですけど・・・・・






県リハは朝起きたら普段着に着替えなくてはいけません。また、車椅子に乗る時は靴を履かなければいけません。当たり前ですが、当時は「何故?」「どうして?」と思います。

考え方が病人の考え方だからです。






早速リハビリが始まります

OTPT 30分位ずつです。
県リハではベット上でなくPT室・OT室でそれぞれのリハビリがあります。


車椅子に乗る事が1日のイベントであるこの頃の俺には、車椅子で移動した先でやってもらうリハビリはかなり刺激的でした。



県リハリハビリをやってもらうと篠ノ井病院でのリハビリは何?って感じです。




結局のところ動かない所は動かない

現状維持のリハビリ
ですが、篠ノ井病院と全然違い世界が広がった感じです。





県リハは、ベットから車椅子 車椅子からベットへの移乗リフターを利用します。
初めは怖かったですが、慣れるとリフターの方が安心して乗り移りが出来ます。











その他の出来事

県リハに来てから、腸の蠕動運動を良くする為に味無しあんこを毎日食べるようにします。






1月26日 に電話をします。はこの頃ドイツに留学中なので国際電話です。小さい声だけど約40分位の長電話でした。





2月2日 県リハの隣にある長野県障害者福祉センター サンアップルカラオケが出来る事を知り、早速カラオケを歌いにいきます。

1曲目を歌っている途中に、なぜか涙が出ます



マイクを持ってもらって、お年寄りに囲まれてのカラオケ
これから呼吸のリハビリも兼ねて、よく行く事になります。

に言わせると、「歌といえるものでなく、念仏を唱えているようだ」との事です。





TVを見ながら足湯中
血液循環を良くする為に毎日足湯をするようになります。足湯の機械は実家から持ってきて県リハに置かせてもらいます。









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