2002年 9月15日


状態、状況

厚生連 篠ノ井病院HCU(準ICU)にいる。
頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができないので使い物にならない。右手首を少しだけ返す事ができる。人工呼吸器を付けている為声が出ないが、口パクや50音表を使って意思の疎通は出来る。声帯を使わずに出せる音がある事に気付き、使う。痙性は日に日に強くなる。
1日3食、全介助で食べさせてもらう。複視起立性低血圧の為、ベットを上げるのにとても時間がかかる。唾を飲み込む事が出来ないので、ティシューで取ってもらう。腹筋と背筋が痛い。 気管切開した喉の所から人工呼吸器を付け、おむつを当てている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。
面会は7:30〜8:00、12:30〜13:00、17:30〜18:00の3回。は毎日来てくれる。は身の回りの世話で昼と夜の2回(12:30〜14:30 17:30〜20:00)、家と病院を往復する事になる。は面会時間がたとえ残り5分しかない時でも、会社帰りに毎日寄ってくれる。友達も沢山来てくれる。リハビリ  ベット上でOTPT合わせて30分位。が、よくマッサージをしてくれる。人工呼吸器の設定をどんどん下げていき、呼吸の練習をする。そのせいか腹筋と背筋が痛い。週2回特殊浴槽で入浴。

新しい事     今回が最後の事





重要な事

始めて車椅子に乗ります。



リクライニングの車椅子に乗る車椅子と言ってもリクライニング式の車椅子です。


リクライニング式の車椅子人工呼吸器を付け、看護師さんに押してもらって厚生連 篠ノ井病院の入り口までいくと、面会を終え帰ろうとしている両親を発見しました。



看護師さんが手を振ると両親は喜んでかけ戻ってきました。




それはそれは うれしかったです そのまま両親と外で1時間位風に吹かれていました。


夜はお祝いにお寿司でした。






9月16日 人工呼吸器の設定をさらに下げ、酸素を流すだけの設定で呼吸の練習をします。





9月20日 PTの先生が来た時の俺の態度にが説教します。

自分自身、重度身体障害者にもかかわらず「PTの先生は俺の事を障害者扱いするから嫌い」と言います。この頃はまだ、身体障害者の自分を受け入れきれていません。





酸素だけ
9月21日 今日から昼間中ずっと、酸素を流すだけの人工呼吸器の設定になります。






10月1日 今晩から夜も人工呼吸器の設定を下げ、これから毎日どんどん設定を下げていく事になります。





ホース離脱10月7日 酸素のホースが

取れました。


ただ、夜は付けていて熟睡すると「吸っていないぞ!」とピーピー鳴ってしまいます。




夕方にが来た時、うれしそうな顔をしていると「何か良い事あったの?良い顔してるねぇ」と、気付きませんでした。
よ、、、気付いておくれ・・・・・











その他の出来事

9月16日 看護師さんに「回復は月単位、年単位」と言われ、トコトン落ち込みます。





9月20日 看護師さんに車椅子を押してもらい、病院の周りを一周散歩します。何もありませんが、なんか楽しくてうれしかったです。





9月25日 右手が自分の下唇までとどくようになります。





9月26日 昼飯の時から夜まで車椅子に乗っています。どこに行くってワケではありませんが、俺にとっては車椅子に乗っている事自体が立派な訓練です。

次の日は腹筋と背筋が一段と痛かったです。





9月30日 PTの先生に「おかしいと思う位に熱を出す等のトラブルがない」と言われます。





10月2日 祖父母TおばちゃんMMさんYさんKさんの個展に行き、絵を買います。

YさんKさんに「トルマリンクリームは強いからまだ使うのは早すぎる」と言われます。









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