2002年 6月27日


状態、状況

広尾病院ポストICUにいる。
頚髄損傷両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができる。右肘を少しだけ曲げる事ができる。右手首を少しだけ返す事ができる。人工呼吸器を付けている為声が出ないが、口パクや50音表を使って意思の疎通は出来る。1日3食、全介助で食べさせてもらう。「痛い」だの「かゆい」だのやかましい。起立性低血圧の為、ベットを上げるのにとても時間がかかる。唾を飲み込む事が出来ないので、ティシューで取ってもらう。意識はあるが、今残ってる記憶があまりない。
気管切開した喉の所から人工呼吸器を付け、おむつを当て、尿道から導尿、その他諸々色んな管が付いている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。2・3日に1度看護師さんに体を拭いてもらう。たまにドライシャンプーで頭を洗ってもらう。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。人工呼吸器のランプの付き方に一喜一憂する。
面会時間は11:00〜20:00。MMさんはほぼ毎日来てくれる。毎月24日〜27日にが仕事の集金で長野に戻るので、その時交代でが東京に来てくれる。友達も沢山来てくれる。は学校が始まり毎日は来れないが、バイト先を病院付近に見つけよく来てくれる。が、よくマッサージをしてくれる。呼吸の練習もする。

新しい事     今回が最後の事





重要な事

主治医の先生がためしにちょっと人工呼吸器をはずしてみると、

わずかながら腹式呼吸があるので、将来人工呼吸器が取れるかもしれないとの事です。





「びつくり」と言える事に気付きます。「びっくり」じゃなくて「びつくり」です。

声、出ないはずなのに・・・・・
何故かは8月下旬頃に分かる事になります。





7月3日 病院でも昼間、人工呼吸器を使って呼吸訓練をしてくれるようになります。





ごはんだー7月16日 今までの食事は固形は固形のものの、軟食だった為 毎日おかゆでした。


今日からちゃんとしたお米になり、俺は
「ごはんだ、ごはんだ」と喜びます。






7月29日 昨夜 微熱がありました。X線・尿の検査をして、午前中からの点滴で熱は下がりました。





7月30日 最近、痰が喉の奥の方でなくカニューレに近い所からひけるようになります。

看護士さん曰く、「痰を奥の方から自分で出す力がついてきた」との事。





7月31日 祖父母TおばちゃんYさんKさん がお見舞いに来ました。
右手が顎まで届くようになりました。




複視が発覚。俺は、いつも同じベットの上にいて同じ距離のものしか見ていないと、こうなるものだと思っていました。いつから複視なのかは分かりません。主治医の先生曰く「徐々に治る」との事。





8月1日 呼吸の練習時間が午前午後2時間ずつになります。

とは言うものの、なんだか1日中呼吸の練習しています。(人工呼吸器は1分間に16回呼吸するうちの4回分を自分で呼吸する設定)





8月4日 転院前の日曜日という事で友達が沢山 来ます。

呼吸の練習も午前午後合わせて6時間やります。人工呼吸器のアラームは鳴りませんでした。





普通人工呼吸器を付けた患者を受け入れてくれる病院は少ないものの、おば(父の妹)が長野の厚生連 篠ノ井病院のレントゲン技士をやっていたので、脳外科の先生に口を聞いてもらい転院させてもらう事になります。











その他の出来事

7月2日 回診の時主治医の先生が「すごいな、これなら転院前に取れるかな?良い脳と脊髄をお母さんからもらったな」と言ってくれました。

何がどう良いか分からないけど、とにかく良いらしいです。





人工呼吸器のランプが着いたり着かなかったり、3歩進んで2歩下がる状態です。


サッカーのワールドカップ とりあえず応援してみます 謎





7月5日 先生が来た時、俺は寝ていますが先生が寝ている時と目が覚めた時とで人工呼吸器を操作してみたところ、「起きている時は出来ていますね」との事でした。

たまに顔を洗います きもちいいモノですよ、こんなんでも



7月14日 痙性で足に力が入った事に喜びます。


1日3食、リメインウォーターを食事の時に飲みます。





が俺に「看護婦さんに、もっと笑顔を見せろ」との要求します。

それに対して俺も努力しますが、は「まだ努力が足りない。私にとっては毎日が戦いなのだ。甘い事言ってちゃ駄目なんだ」と100%を要求します。(曰く全ての人の力を自分の回復に向けなさいとの事)






広尾病院が東京ERに指定され、東京ER・広尾を開設します。とは言ってもあまり俺に影響は無かったです。

が開設のイベントを行き、石原慎太郎都知事を見て「かっぷくが良くてかっこよかった」と言っていました。





この頃は食事量が多く全量食べれるくらいです。





主治医の先生が転院前に、MRIとレントゲンの写真をに見せてくれます。先生も一緒にレントゲンの写真を見てる時、

「これで よく生きてたなぁ」とこぼします。





相変わらずベットを起こしている時間が長いので仙骨の褥瘡の治りは遅いです。

褥瘡篠ノ井病院へ持ち越しです。









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