2002年 5月13日


状態、状況

広尾病院ポストICUにいる。
頚髄損傷右肩をすくめる事が出来る。わずかだが右肘を曲げる事が出来る。人工呼吸器を付けている為声が出ないが、口パクや50音表を使って意思の疎通は出来る。「痛い」だの「かゆい」だのやかましい。ベットは少ししか上げる事が出来ない。唾を飲み込む事が出来ないので、ティシューで取ってもらう。意識はあるが、今残ってる記憶があまりない。
気管切開した喉の所から人工呼吸器を付け、ハローベストを着て、おむつを当て、鼻から1日3食の経管栄養、尿道から導尿、その他諸々色んな管が付いている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。2・3日に1度看護師さんに体を拭いてもらう。たまにドライシャンプーで頭を洗ってもらう。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。人工呼吸器のランプの付き方に一喜一憂する。
面会時間は11:00〜20:00。MMさんは毎日来てくれる。毎月24日〜27日にが仕事の集金で長野に戻るので、その時交代でが東京に来てくれる。友達も沢山来てくれる。は学校が始まり毎日は来れないが、バイト先を病院付近に見つけよく来てくれる。が、毎日マッサージをしてくれる。呼吸の練習もする。

新しい事     今回が最後の事





重要な事


午前11:00頃、ハローベストを取る処置をします。



処置が終わるとベットを45度位の角度まで上げて座っていて、頭もすっきりしました。ニコニコしていると主治医の先生に「笑うと、おふくろさんの笑い顔とよく似てるなぁ」と言われました。


痛み止めが大量に入ってるとかで、最高の笑顔でした。




ハローベストが取れたものの、首にはスウェーデン製のチタンが入っているため、頭は少ししか動かせません。





ハローベストが取れてスッキリ
5月14日 積極的にベットを上げるようにし始めるも、筋力があまりにも落ちている為ベットが30度位に上がった所で首が痛くなります。




父とツーショット まるで白と黒のオセロのようだ





5月22日 事故後初めてモノを食べます。誤嚥しないようにカフに空気を入れてもらい食べます。
それは人工呼吸器が外れるまで続きます。



小さなゼリーから始めるはずが、普通の大きさのプリンを3口位食べます。


量は半分位で満足。食べた後看護師さんが確認すると、気道からプリンが出てきました。3ヵ月間何も口から食べていないと、うまく飲み込む事が出来なくなるようです。




モノを食べる時、ある程度ベットを上げないといけませんが起立性低血圧の為、ベットを上げたり下げたりしながら時間をかけて食べられる角度まで上げます。



今日はコーヒーゼリー

1日3食ゼリーやプリン
の日が続きます。








6月1日 呼吸の練習で、お腹を押すと、人工呼吸器のオレンジランプが着くようになります。





6月4日 左肩をすくめる事が出来るようになります。

とは言っても、が左肩をすくめる所を目撃し「兄ちゃん肩動いてるよ!」と驚いたものの、俺は「今までも動いてた」といたって冷静です。そんな事はなく、みんなして驚きました。





6月9日 左手親指の腹の感覚が戻ります。





6月18日 主治医の先生から「首を固定する手術もしたし、ここでやるべき事は全てやったので
早く転院先の病院を探してくれ」と話があります。



人工呼吸器は一生取れない」と宣告もされます。


↑そんな事は教えない方が・・・・・






「固形」の食事とご対面6月20日 経管栄養が終わり、1日
3食の固形の食事になります。


まだむせたりして大変だけど、口から食べれるってことは素晴らしいです。






6月21日 右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができるようになります。




6月23日 お腹を押さなくても人工呼吸器のオレンジランプが着くようになります。




6月25日 右手首を少ーし返す事ができるようになります。











その他の出来事

ハローベストを着ていた事により、両肩甲骨3×3cm大の褥瘡あり。






5月15日 事故後初めてくしゃみをしますが、「クシャン」とはいきません。

くしゃみが出せない位肺活量が減っているようです。





5月16日 Tおばちゃんに、巣鴨の氣功の先生の所に連れて行ってもらいます。

はこの日から俺の為に氣功を習得しようと思い、週1で巣鴨に通い100日間にわたる修行を始めます。


ついでに巣鴨の棘抜き地蔵さんにも行き、俺に刺さってる人工呼吸器という大きな棘が抜けるようにお願いしてきます。





5月20日 ベットの位置が窓側に引っ越しました。外が見えるようになります。





5月23日 飲み込みの練習も兼ねて、ゼリーとプリンを食べます。両方とも1/4〜1/5位で満足です。やっぱりまだ気道からゼリーとプリンが出てきます。





ベットを起こしている事は良い事と思い、ベットを上げている時間が長くなりました。

それによって肩甲骨の褥瘡は良くなりましたが、仙骨に4×5大の褥瘡ができます。





5月26日 せっかく来てくれたに「早く帰れ」と怒ります。


看護師さんから「痛みは一生にはならないから、痛みに慣れる努力が必要」と言われます。



突然泣きます。
自分の体が自分の思いどおりにならない事へのあせりの涙と思われます。





5月27日 ゼリーやプリンが1個食べれるようになります。
動けない俺に代わり、事故の事情聴取に高輪警察署に行きます。





お尻が熱くて痛いという感覚に苦しみます。





5月31日 テレビを買ってきてもらいます。これで多少は退屈な入院生活解消です。





6月あたりから痛みを訴える事が減ります。が、次は熱いと訴えます。





6月2日 足のマッサージをしていると足が動きます。喜んだのですが、今思うと痙性と思われます。





不思議な出来事 6月10日に昼は全ペースト状の食事が出ます。

ペースト状の食事はとてもまずいです。とは言っても口から食べるって事は素晴らしい事です。


夜には固形の食事が出ると言うので楽しみにしていると、食事直前に血中酸素量が急激に減るというハプニングがあり、固形の食事はおあずけになり、また経管栄養に逆戻りです。
血中酸素量が減った時、苦しくもなく体に何の変化もなかったのに・・・・・・


悲しかったけど、あせるなという警告と思われます。


おかゆやきざみ食を食べますが、しょっちゅうむせます。





6月17日 事故後初めてしゃっくりをします。

しゃっくりは横隔膜の痙攣だから、自発呼吸が
戻るかもと勝手に思い込みます



主治医や別の医師・看護師にも訴えますが全く相手にされません

(やはり無知は素晴らしい・・・)





6月20日 事故以来初めてお湯でシャンプーをしてもらいます。





6月24日 母の気孔の先生が病院に来てくれます。これから広尾病院にいる間はたまに来てくれるようになります。









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