2002年 10月29日


状態、状況

厚生連 篠ノ井病院HCU(準ICU)にいる。
頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができないので使い物にならない。右手首を少しだけ返す事ができる。とても小さな声だが、喋る事ができる。痙性は日に日に強くなる。
1日3食、全介助で食べさせてもらう。複視起立性低血圧の為、ベットを上げるのにとても時間がかかる。腹筋と背筋が痛い。
気管切開した喉の所から人工呼吸器(喋れるカニューレ)を付け、おむつを当てている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。
面会は7:30〜8:00、12:30〜13:00、17:30〜18:00の3回。は毎日来てくれる。は身の回りの世話で昼と夜の2回(12:30〜14:30 17:30〜20:00)、家と病院を往復する事になる。は面会時間がたとえ残り5分しかない時でも、会社帰りに毎日寄ってくれる。友達も沢山来てくれる。リハビリ  ベット上でOTPTST合わせて50分位リクライニング式の車椅子だが、車椅子に乗る事が自分で出来るリハビリ。意味もなく乗る。が、よくマッサージをしてくれる。呼吸の練習をする。週2回特殊浴槽で入浴。

新しい事     今回が最後の事





重要な事


カニューレが取れます。


まだ自分で痰を出したり誤嚥したモノを出す事が出来ないので、

今度は気管切開した所からレティナを入れる事になります。




カニューレ→レティナレティナ気管切開部分をキープするだけのモノなので、だいぶすっきりして楽になりました。

人工呼吸器を付けて8ヵ月、長かったです。






10月31日 リクライニング式の車椅子に乗り、
KさんTおばちゃんMMさん電話します


Kさんが言ってくれた事
が現実になりました。

Kさんは「私もYさんも涙が出る位うれしい」と言ってくれ、Tおばちゃんは泣きながら話してくれました。






11月6日 この日までに達成できた目標は、・右手で鼻をかく・短い会話・パンを持ち 腕を支えてもらって口に運ぶ・一本のピロピロを吹く。


達成できていない目標は、・咳をして自力で痰を出す・長い会話・パンを自力で口に運ぶ・鈴でなく声で看護婦さんを呼ぶ・宴会用の三本のピロピロを吹く。





夕方、プライマリーナース(担当看護師)とあつく話し合います。
プライマリーナースの人は俺の事を思い怒りますが、俺は泣いてしまいます。

時間にして1時間以上でした。


夕方の回診で整形の先生が一言、「あせらないでね、1つずつね」となぐさめてくれます。

呼吸の訓練中











その他の出来事

10月30日 レティナに交換して初めての夜が明けました。つまり事故後初めて、口と鼻から呼吸をして寝てた夜でした。寝て起きて、、、疲れました・・・


そして喉が痛い位カラカラに乾いていました。口から呼吸するのは思ったより大変でした。




と話す時はささやき声です。普通の声を出すのは疲れるんです・・・・・・





11月4日 祖父母が横浜からYさんKさんの絵と手紙を持ってきてくれました。
素晴らしい絵です。





11月6日 結婚した友達にお祝いの電話をします。
式には出れなかったけど、、、、、う〜ん、まぁいいさ。




夜、顔にパックをします。ビジュアル重視で・・・・・





人工呼吸器が取れる前 魚の甘露煮を食べたら、とてもおいしかったです。

そして人工呼吸器が取れてから魚の甘露煮を食べると、、、まずいじゃん・・・・・・


匂いの重要さをおもいっきり痛感しました。









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